帰省した時に思い出した府中の「首無地蔵」の思い出 祖母の悲しい記録

僕は広島県の出身。

今年の夏も短い期間ですが帰省できました。

帰省の期間、非常に楽しめましたよ。

さて、帰省している最中に、

僕にとっては非常にインパクトが強い「首無地蔵」の思い出

がよみがえってきました。

非常に強烈な思い出なのですが、今まで誰かほかの人に話したことがありません。

こういうのはやっぱり「記録に残しておくべき」と思いますので、
記録として書いておこうと思います。

首無地蔵の思い出

僕は幼稚園のころ、祖母に広島県府中市にある

「首無地蔵」に何度もつれていかれた記憶があります。

以下のような思い出です。

週末になると、母と祖母と一緒に毎週のように「首無地蔵」にいっていました。

当時の僕は何も分かっておらず、まるで観光地に行っているような気分でした。

というのも、「首無地蔵」は比較的、最近になって注目された地蔵なんです。

少し、府中の「首無地蔵」について、説明しておこうと思います。

首無地蔵とは

府中の首無地蔵とは心霊スポットでも何でもありません。

れっきとした信仰を集めている地蔵です。

しかし、この地蔵は先ほど述べた通り「比較的最近になって注目された」という特徴があります。

ウィキペディアによると以下の通りです。

1977年(昭和52年)5月18日未明のこと、市内在住の東寿男(当時68歳)の夢枕に地蔵菩薩が立ち、「今、畑の中に埋まっているから出してくれ。出してくれたら何でも願いを叶えてやる」と告げた。東氏はいつものように、朝早くに畑の耕作のために、単車で坂道を上っていった。畑の入り口かには不要になった石が積んであったが、単車がこの石に乗り上げ、一回転し倒れてしまった。「こんなところに石を積んでいるからじゃ」と、この石の近くの農道まで運び片付けたが、一番下にあった石をよく見ると、首のない石仏であることが分かった。その時、未明に見た夢が正夢であったと悟り愕然とした。粗末にしてはいけないと思い、近くの水路で丁寧に洗い、農道脇に横たえていた。やがて近所の人びとが集まってきて、お祀りすることになった。当初「にこにこ地蔵」と名付けられたが、翌月になって「首無地蔵」(くびなしじぞう)がよかろうということになった。

その頃から新聞、テレビでも注目を集めるようになり、多くの観光客が訪れるようになった。土産物屋は並ぶ門前町も形成され、観光資源に乏しい府中市で有名な観光地になった。

こうして首無地蔵はあらゆる病気に効き目があるとされ、何より自分流儀で祈願できるところが親しまれている。(ウィキペディアより

このように、メディアで報道されてから注目され始めた、比較的新しいスポットです。そして府中の街づくりのために観光地化されています(最近では観光客は少ないようですが・・・)。

小学校1年生の時に叔父がなくなった

小学校1年生の時に、当時の僕にとって衝撃的な事件がありました。

まだ30代の叔父がガンでなくなってしまったのです。

それも幼い子どもたちを残して・・・。

僕にとってその出来事はとても衝撃的な出来事でした。

初めて「人が死ぬ」ということを目の当たりにして、

「人間っていつかは死ぬんだなぁ・・・」

と考えて、夜も眠れなくなったことがありました。

そして、叔父の子供である、僕のいとこたちがかわいそうだなぁ・・・

という気持ちもとても大きかったです。

あるときふと「首無地蔵」を思い出した

僕が大きくなって二十歳すぎたくらいになったころ、ふと「首無地蔵」に行っていた子供のころのことを思い出しました。

首無地蔵に行くと、祖母からおやつやおもちゃを買ってもらえたなぁ・・・なんて思い出していました。

そして、ふと思ったんです。

なぜ、首無地蔵に毎週のように通っていたんだろう・・・・

そして、考えてみると答えが出ました。

そうか!!

おばあちゃんは、息子(僕にとっては叔父)がガンを患っていることを知っていて、藁をもつかむ気持ちで首無地蔵にお祈りしに行っていたんだ!!

そのことに気づいてから、

僕にとって楽しい、「首無地蔵」に連れて行ってもらって、祖母から「おもちゃやお菓子を買ってもらった」思い出が、とっても悲しい出来事だったんだなぁ・・・と気づきました。

そう、思い出せば、祖母はいつも首無地蔵に行ったとき、とてもつらそうな顔をしながら、首無地蔵を触り、祈っていました・・・。あの時、祖母は「息子の回復を心から願ってお祈りしていた」んでしょう・・・・・。

そう思うと、思い出すだけで胸が苦しくなってきます・・・。

子どものころ見ていた世界と、大人になって感じる世界

子どもの僕は単純に「旅行気分」で行っていた首無地蔵。

この場所が我が親戚一同にとってとても「悲しい場所」だということに気づいてしまいました。気づいてしまったのですが、いまだに親戚の誰にもそのことを誰にも話したことがありません。

僕も親になって、少しは祖母の気持ちが分かります。

子どもに先立たれる親の気持ちが・・・・。

どんな気持ちで首無地蔵に通っていたのか・・・。

そう考えると辛くて辛くて。

そう考えると、子供のころに見ていた世界が大人になると、ガラッと違って見えるんだなぁ・・・と、心から感じました。

いつか、

いとこにはその時のおばあちゃんの様子を話したいなぁ・・・

そう思ったのでした。

今回の夏の帰省でそんな思い出を思い出しました。

僕がブログに書かなければ、この「家族の歴史」がなくなってしまいそうで・・・

それはそれで悲しい。

どうしても残しておきたくて、このことをブログに書いておこうと思いました。

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